HOME > Blog article: 今年は、開道150年 我が家は来道125年 -

今年は、開道150年 我が家は来道125年

北海道に開拓使が置かれてから150年目となりました。

思えば、我が家も北海道に渡ってから125年目の年です。

そこで、5代に渡る足跡をたどってみました。

1983年 徳島県での農業に見切りをつけた堀江藤平は

単身、船で根室に着きました。土地を開拓し農業をしようと

思ったのですが、寒くてできなかったようです。仕事を見つ

けようと漁業で栄えている標津に赴き 、ここで魚を売りさ

ばく事を覚えまもなく店をもちました。しかし、身体をこわし

店の後継を末弟の嘉平にたくしました。1901年、堀江嘉

平(私の曾祖父)はより良い漁場を求めて「メナシ場所」と

呼ばれた羅臼に拠点を移し、1905年日露戦争で全千島が

日本領となったこれらの島へ荷を運ぶ廻漕業も始めました。

昔の羅臼

大正年間の羅臼の街並み

堀江広告

大正9年刊 根室千島実業家名鑑より

標津町史

標津町史に廻漕業者として堀江嘉平の名前が載っています

嘉平 左側が嘉平

第1次世界大戦が終り不況が始まっても店は

順風満帆でした。ところが、1921年嘉平は53歳で

急逝しました。店を継ぐはずだった息子の嘉雄

(私の祖父)はまだ19歳で、後継ぎとしては

頼りなく、補佐してくれる者もなく店をたたみました。

嘉雄は菓子屋をしている従兄を頼って大阪に出て 、

ここで修行をすることになりました。

菓子帳

嘉雄のレシピーノート「製菓調混控」

一通りの製造経験を積むと、1927年菓子店を

開こうと札幌に来て山鼻に店を持ちました。

山鼻絵地図

その頃の山鼻の絵地図 幌西小学校(昭和2年開校)のほかは何にもありませんでした

煎餅焼き 鉄製の煎餅焼き器具

始めは「煎餅」焼き。道具が揃えられなかったそうです。

1929年店の前に市電「山鼻西線」が開通、来客は日増しに

増えていったそうです。

昭和電車当時の市電

昭和初期

昭和8年の家族写真 曾祖母(左下)祖父(左上)

4歳の母

長引く不況、冷害で「満州で一旗あげよう」と

移住を呼びかける雑誌

満州

たてびん 昭和のロール

瓶に入れた菓子 唯一の洋菓子ジャムロール」

ヨシ

店頭の曾祖母 看板の文字は右から左

1937年 中国大陸で戦火が拡大し大勢の兵隊が動員されました。

これら兵隊さんに届ける「慰問袋」が作られ、それに詰めるお菓子が

売れました。

昭和のもの

警防団

町内の警防団員だった祖父 1941年頃

軍隊

1944年父は陸軍航空隊に入隊(後列左)

26年店舗

戦争が終り商売を再開した頃の店舗1951年

バラ菓子

量り売りの菓子類 スーパーマーケットで菓子が売られる前は

この様にして販売していました 1960年頃まで

最中

「甘いもの」が求めれた時代「かしわ最中」を発売(1951年)

この最中は現在ケーキ屋になっても作り続けています。

1961

民芸調の看板を掲げた1960年代の店舗

60年代作業 60年代工場

1960年代 手作りの製造作業  と 製餡設備と饅頭蒸し機

1960店

キャラメル、チョコレート、ガムいろんな菓子を並べていました

1960店2

進物用ギフト菓子のショーケース

昭和ケーキ カップケーキ

1960年代、洋生「ようなま」と呼ばれていた

ケーキを作り始めました。

当時のパタークリームを使ったケーキ

1974店舗

ビルになって2階に喫茶を設けた頃の店舗1974年

ハワイアン ショート モンブラン

冷蔵ショーケースガ完備され生 のフルーツを使った

ケーキが作られるようになりました。

オムレット レアチーズ

ケーキに流行が現れるようになりました。

1970年バナナオムレツブーム

1980年レアチーズケーキブーム

テラミス 

1989年テラミスは大ブームに

新店舗

1991ケーキ専門店として現在のような店に

西線ロール 西線セット

2002年 路面電車「応援菓」として「西線ロール」を発売

HOMEシャモニーについてメニューおすすめスイーツ
アレルギー対応ケーキご注文工房だよりサイトマップ
Copyright ©2007 Patissrie Chamonix All Rights Reserved.